諸葛瞻、姜維排除の巻

景燿5年(262)宦官の黄皓、右将軍・閻宇、諸葛瞻、董厥ら、姜維解任を言上した


「臣、瞻が申し上げます。臣は愚かな性質でありながら、幸いにも朝廷にお仕えをする事が出来ました。
栄誉と高位を貪って戦き恐れること、薄氷を踏み深淵に望む思いに過ぐるものがあります。このような厚遇になす事を知りません。
臣は、こう聞いております。周の文王は人民を育み、少数を以て多数を制し、越王勾践は民衆をいたわり、弱国をもって強国を制したと。
しかし、姜将軍(名:維、字:伯約)は周の文王や勾践の事例に従わず、民を労らず、戦闘にあけくれ、魏を打倒せしと戦争を繰り返す事で民衆が疲弊しております。
そもそも民衆が疲弊すれば、騒乱の兆しが生じ、上が傲慢、下が騒動となれが瓦解の状況が引き起こされるものです。
ことわざにも「まぐれ当たりを狙って何度も射るより、慎重に狙い放つ方がよい」とあります。
だから智者は小さな利益を見て奪われる事もなく、よく似た目標物を見て歩調を変える事もしません。時期がよくなって初めて動き、時運がめぐり来て初めて行動を起こすのです。
臣が考えまするに、姜将軍が、あくまでも武力をふるい、何度も討伐の軍をおこした結果、崩壊の情勢が生じ、不幸にして危難にあいでもすれば、例え智者がいたとしても手段を講ずることは不可能であります。
このままでは、国家が疲弊し、滅びへの道へと進むであります。姜将軍を解任し、人民の労苦を減らすのが責務であります。
だから殷の湯王と周の武王はの軍が二度と戦う必要がなく勝利を得たのは、誠に人民の労苦を重くみて、行動の時期を慎重に判断したからであります。
智者は、小さな利益をを見て奪われる事なくよく似た目的物を見て歩調を変える事はない。時機が良しとなって初めて動き、時機が巡りきて初めて行動を起こすのです。
国家を救うためには、姜将軍を解任し、後任に閻将軍(名:宇、字:文平)とすれば、国家は安定し、人臣は落ち着き、閻将軍は、威厳に満ちた風格もあり、職務に熱心でありますれば、天下万全であります。
縦横に奇策を巡らし、絶え間なく軍を出動させ、波を突き轍の跡を断ち切って進み、谷を超え山を超え、船に頼らず渡し場を渡るというのであれば、まったく口出す余地でありますせんが、私は愚か者であるから、あえて申し上げます。」

載は否決された。

翌年、景燿6年(263)蜀漢は降伏した

無料でホームページを作成しよう! このサイトはWebnodeで作成されました。 あなたも無料で自分で作成してみませんか? さあ、はじめよう