劉表の称号について

劉表には、正史・三国志「劉表伝」では八俊。後漢書「劉表伝」では八顧。同書「党錮伝」では八及と呼ばれとあります。後漢書、同書でも呼ばれ方が違うという面白い事が見れる。

これは、名士層が、それぞれの人物評価で称号があるのだが、その中で色々の説があったのであったかもしれない。


さて、党錮伝によると、称号には「三君」「八俊」「八顧」「八及」「八廚」とあると書かれている。

三君とは「君なる者は、一世の宗とする所をなるを言う」宗は中心となる考えがあるから、ここは一世(時代とか)の中心となる考えの持ち主達の意味かと考えられる。八俊とは「人の英なるを言うなりとあり」人をひいでる人の意味か。


八顧とは「能(よ)く徳行を以て人を引(みちび)く者を言うなり」これは、そのままの意味であろう。


八及とは「其の能く人を導きて追宗せらるる者を言うなり」と、導きは引(みちびき)と同じ。宗とは、宗仰(そうぎょう)せらるる所なると謂う。宗仰とは、多くの人が崇め尊ぶ。敬慕(けいぼ)するの意であるから、これは、人を導きて、多くの人が敬慕するという意味であろうか。


八廚とは、「能く財を以て人を救う者を言うなり」これも、そのままの意味であろうか。


党錮の禁後、名士層は、人を評価し称号を与え、それがステータスとなっていく事になる。劉表も、その中のひとりであった。


劉表は、三国志演義では人の良い老人であるが、実際はもっと血なまぐさい人物である。名士層が名付けた評価とは、若干違うのが正史・三国志では見えてくるのである。

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