孫綝の最後

太平元年(256)から、権勢を誇っていた孫綝も、永安元年(258)12月8日に終わりを迎えた。この時、28歳。魏では甘露3年。蜀では景耀元年の事である。

日頃から孫休は、孫綝の事を不快に思っていたので、張布と丁奉と共に孫綝を誅殺する計画を立てた。

12月8日、年末に行われる祖先や神々の祭りである臘会(ろうかい)が開かれた孫綝は、病気を理由に欠席しようとしたが、孫休の使者が十数人も遣わされたので仕方がなく参内する。


部下A「殿を殺害する噂があります。参内はお止め下さい」


孫綝「陛下が、しばしば出席するように言葉を頂いているのだ。お断りするわけにはいかない」

部下A「殿を殺す計画です。陛下がなんですか。殿があっての呉ですぞ」

孫綝「いや、参内はしよう。しかし、計画どおりにすすめてくれ」

部下A「どのような計画で」

孫綝「まず、我が参内してから、暫くたってから、役所内で火事をおこせ」

部下A「火事でありますか」

孫綝「そうだ。火事だ。火事を理由にすれば、すぐに戻って来れるであろう」

部下A「わかりました。見計らって火事をおこします」

孫綝、参内する。暫くすると「火事だ」と、騒ぐ声が聞こえる

孫綝「火事だと。様子をみてきましょう」

孫休「丞相(孫綝)自ら様子を見る必要はありませんよ。他に兵士がいますから」

孫綝「いや、心配だ。見に行くとしましょう」

孫休「(周囲に目配せ)」

隠れていた多数の兵が現れ、孫綝縛り上げられる
孫綝「なんの罪によって、我は縛り揚げられてるのか」

孫休「そんな事、御身はわかっているでしょう」

孫綝「なんのことか」孫休「罪もない勝胤と呂拠のことを思い出しなさい」孫綝「交州の配流にしたいただきとうございます」

孫休「では、問う。あなたは、何故、勝胤と呂拠を配流せず殺害したのか」

孫綝「...」

孫綝「宮廷の奴隷として、一命をお助け下さい」

孫休「何故、勝胤と呂拠を奴隷とせず、殺害したのですか」

孫綝「...」

孫休「孫綝を斬首。孫綝の部下は、武器を捨てるなら放免する」

部下A「もう終わりだ。あれほど言ったのに、殿が我の言葉を信じていれば」


部下B「我々は、どうなるのだ」

部下A「5千人以上の兵力があるのだ。ここは宮殿に攻め入れば逆転できるぞ」部下B「陛下が、武器を捨てれば放免と言っている」

部下A「武器を捨てるだと。それでも、貴様軍人か」

部下B「軍人だよ。でもね。自分の命が大事さ。俺が死んだら家族がどうなるんだ」部下A「なんだと。孫綝様への恩義はどうなる。俺は戦うぞ」

部下B「好きにしろよ。オイラはお断りだ。武器を捨てて降伏するよ」

部下A「いいや。俺と同じ思いは者は、多いはず、俺は戦うぞ」

武器を捨てる者5千人にのぼったという。孫綝の一族は皆殺しにされた。

部下A「何故、皆武器を捨てる。戦うこそが軍人じゃないのか」

僅かの者たちが戦って命を散らしたという。

その後、孫休は、8年後に死去。

呉は、坂道を転がるように滅亡へと走っていく。にテキストを入力

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